女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。…遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも―。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語。
湊かなえさんが「これを書けたら、作家をやめてもいい」とおっしゃっていたほどの内容だそうです。
そんな『母性』が映画化。母と娘、「2人の証言」で語られる「1つの事件」を軸に、母娘の関係性、そして秘密を浮き彫りにしていく。
女性は元々母性は存在するのか。
もし存在していなければ、どのように作られるのか。
それが、ある事件によって、浮かび上がってきます。
すれ違う母娘から導き出された『母性』とは?
どのようなおはなしなのか詳しく紹介していきます。
映画『母性』のあらすじを途中まで詳しく紹介!
<映画『母性』あらすじ>
女子高生が自ら命を絶った。その真相は不明。事件は、なぜ起きたのか? 普通に見えた日常に、静かに刻み込まれた傷跡。愛せない母と、愛されたい娘。
同じ時・同じ出来事を回想しているはずなのに、ふたりの話は次第に食い違っていく…。 母と娘がそれぞれ語るおそるべき「秘密」—2つの告白で事件は180度逆転し、やがて衝撃の結末へ。 母性に狂わされたのは母か?娘か?・・・この物語は、すべてを目撃する観客=「あなたの証言」で完成する。
が公式HP などに書かれているあらすじとなります。
原作の内容でもう少し深堀していきます!
事件発覚
とある新聞記事にて私立の県立高校に通う17歳の女子生徒が4階にある自宅から転落して
県営住宅の中庭で倒れているところを母親が発見します。
警察は事故と自殺の両方で原因を詳しく調べているとのことで、母親は『愛能(あた)う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんで信じられません』と言葉を詰まらせます。
女子生徒は飛び降りたのか、それとも足を滑らせたのか?
もし自殺だったのなら、何が原因なのか?
新聞記事を読んだ「とある教師」は、母親のコメントに違和感を覚えました。
逆説的な話ですが、子を愛している親はみだりに「愛」という言葉など使わないのではないか? と教師は思ったのです。
愛という言葉を使いたがるのは、むしろ本心では愛していないからではないか?
ただ、教師は《母性》について懐疑的です。
はたして子どもを産んだすべての女性が母性を持ちあわせているものでしょうか?
母性に目覚める母親がいる一方で、母性を持ちあわせない母親も存在しているはずだと教師は考えます。
そうでなければ虐待をはじめ、我が子を苦しめる母親たちがいることに説明がつきません。
教師は職業柄、そんな最低な母親たちと日常的に接しています。
「母性ある母親は、愛という言葉をみだりに使わない」という持論は、教師の経験則から導き出された持論でした。
教師の持論に照らし合わせれば、転落した娘の母親は「母性なき母親」である可能性があります。
娘はそんな母親に追いつめられて自殺したのではないか?
教師は嫌な想像を働かせますが、とはいえ、しょせん教師は部外者です。
事故だったのか、自殺だったのか、はたまた事件だったのか。
真相を知るすべはありません。
母の手記
主人公母の視点から過去が回想されます。
母は娘が生まれるまで自分の母親が大好きな娘でした。
家に帰っては一日の出来事を母親に話して聞かせ、休日ともなると母親と一緒に出かける日々。母親の喜ぶ顔が大好きです。
母親から頭を撫でられ、「よくがんばったね」と褒められるためなら、なんだってできました。
小さい子であれば、想像すると素敵な風景だと思えますが、このころ母は20代前半。
社会人として、働いているにも関わらず、いつまでたっても母親にべったりと甘える姿は、良く言えば親孝行な娘、悪く言えばマザコンといったところでしょうか。
母のため。母に喜んでもらうため。母に褒められるため。
本人の理想としている人生とは「母を愛し、母から愛される」こと、本当にそれだけでした。
他にはなにもありません。
母が褒めれば、一回きりのデートだと思っていた男と二回目のデートに行きました。
母がいっそう気に入ったようだったので、その男と結婚することにしました。
その性質は、結婚しても、娘が生まれても変わりませんでした。
出産し、自身を子供に何と呼ばせるか、夫婦で相談はしていませんでしたが、
自分と同じように、「お父さん、お母さん」と呼ばせるのだろうと漠然と考えていたのですが、ふと、それはイヤだ、と思いました。
お母さん、などと呼ばれたくない。
私にとって「お母さん」という言葉は、愛する母ただ一人のためにあるのだから。
事件
娘(清佳)の誕生から数年、母(ルリ子)は人生でいちばん幸せで平和な時期を過ごします。
というのも、結婚・出産を経てますます大好きな母親と一緒にいる時間が増えたからです。
- 実家に料理を習いに行く
- 夫が夜勤の日は母に泊まりに来てもらう
ルリ子はあれこれと口実をもうけては、母親に会い続けました。
母親も孫娘をたいへん可愛がっていて、会うたびにとても嬉しそうにしてくれます。
ルリ子は母親の愛情が清佳に奪われているようで少し不満に思うこともありましたが、それ以上に母を喜ばせられているという充実感があり、また、母は変わらずルリ子のことも褒めてくれていたので満足でした。母が望むような母親であるために、ルリ子は清佳を大切に育てていました。
ところが、夢のようだったルリ子の日々は、一夜のうちに崩れ去ってしまいます。
台風の影響で裏山が土砂崩れを起こし、そのうえ停電のため灯していたろうそくの火が移り、家がすっかり燃えてしまったのです。
幸いにして夫は夜勤に出ていましたし、ルリ子も清佳も無事でした。
助からなかったのはただ一人、泊まりにきていたルリ子の母親だけです。
その夜、清佳は別室で寝ている祖母の布団にもぐりこみ、一緒に寝ていました。
そして祖母ともども土砂崩れによって家が歪み、倒れてきた箪笥(たんす)の下敷きになりました。
ルリ子は選択を迫られます。
下敷きになっている母親と娘、どちらを助けるのか?
ルリ子は迷いませんでした。
私は洋箪笥の下に両手を伸ばし、母の両腕をつかみました。
「あなたが助けなきゃならないのは、わたしじゃないでしょ」
「お母さんは私の一番大切な人なのよ。私を産んで育ててくれた人なのよ」
一瞬のうちに、私の頭の中に、母と過ごした日々が溢れかえっていきました。
「バカなことを言わないで。あなたはもう子どもじゃない。母親なの」
「イヤよ、私はお母さんの娘よ」
母を失いたくない、ただそれだけでした。
「やめて。やめなさい。どうしてお母さんの言うことがわからないの。親なら子どもを助けなさい」
子ども……。火を見て冷静さを失っていた私は、母の目を見てようやく我に返り、そこで改めて、娘の存在を思い出したのです。
そうだ、この下に娘もいるのだ。
それでも、私は母から手を離すことはできませんでした。
「イヤよ、イヤ。私はお母さんを助けたいの。子どもなんてまた産めるじゃない」
「あなたを産んで、お母さんは本当に幸せだった。ありがとう、ね。あなたの愛を今度はあの子に、愛能う限り、大切に育ててあげて」
母の最期の言葉でした。
無我夢中だったため、その後の記憶は曖昧なのですが、熱と煙が充満する中、箪笥の下から娘を助け出し、抱きかかえて炎の中を突き進み、外に出たのではないかと思います。
母を置き去りにして。棺に入れ、花を飾ってあげることもできませんでした。
母なき世界
火事のあと、ルリ子たち家族は夫・田所哲史(さとし)の実家に身を寄せることになります。
そこは、ルリ子にとって地獄そのものでした。
田所家の人々は底意地の悪い、ひねくれ曲がった性格の持ち主ばかりだったのです。
- プライドだけは高く
- けれど自分ではなにもせず
- 悪い結果はぜんぶルリ子のせい
いつ逃げ出してもおかしくない劣悪な環境の中で、しかし、ルリ子は耐え続けました。
田所家に、義母に、奉仕していればいつかは家族の一員として認めてくれるはずだと自分に言い聞かせ、亡き母に恥ずかしくない生き方に努めていました。
子育てについても同様です。
あなたの愛を今度はあの子に、愛能う限り、大切に育ててあげて
愛する母の最期の願いを、どうして裏切ることができるでしょう。
私が娘を大切に育てたのは、それが母の最後の願いだったからです。
その私が、娘の命など、この手で奪えるはずがないではありませんか。
娘の回想
小学校にあがる前から、清佳は母に愛されていないと気づいていました。
母(ルリ子)があれこれ世話してくれるのは体裁を整えるためです。
「あなたがそこにいるだけでいい」という無償の愛とはまったく異なる、カタチだけの母性。
愛されていない子どもの典型的な例として、清佳は「利口な子」に育ちます。
愛されるためには正しいことをしなければならない、という強迫観念が清佳から年相応の無邪気な子どもらしさを奪っていました。
それでも、祖母(ルリ子の母)が生きていた頃はまだ幸せでした。
祖母はいつも温かい無償の愛で清佳を包んでくれます。
それに清佳が祖母を喜ばせると、母も心からうれしそうにしてくれます。
母がそうであったように、清佳にとってもこの頃がいちばん幸せでした。
その後、台風の夜に母娘の幸福は音を立てて壊れてしまいます。
事件当時の記憶はあいまいで、清佳は母と祖母がどのようなやりとりを交わしていたのかも、どのようにして助けられたのかも覚えていません。
清佳はあの夜の事件について次のように振り返ります。
あのとき、わたしが死んでいればよかったのではないか。
死因が土砂災害や火事である方が、私の人生は救われる。
母から殺したいほど憎まれる、というよりは。
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というのが『母性』の内容を少し詳しく書いてみました。
この内容を映画ではどのように描かれているのか、
このあともどのように描かれているのかが楽しみですね。
実際のところ母性ってどうなんでしょうね。
もともと存在するのか、しないのか。。。
母にならないと、母性は出てこないのか…
難しいですね。
湊かなえさんの『母性』が映画化!ネットの声をまとめてみた
ほかにも
- 一番読んだ本が湊さんの『母性』でそれが映画化されてキャストが”ハコヅメ”コンビは最高!
- ”ハコヅメ”コンビがまた見れるのは嬉しい
- 湊さんの作品に戸田恵梨香さんいいな
などの声があげられていました。
映画化が発表されてから、原作を買いに行っている方も多かったです。
まとめ
映画『母性』の公開は
2022年11月23日(祝・水)
出演は母・ルリ子役戸田恵梨香さん・娘・清佳役永野芽郁さんです。
とても楽しみな映画です!
公開までまだ少しありますが、楽しみに公開を待ちましょう。
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